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シャネルの時計が魅力的な理由

シャネルの時計は、ガブリエル“ココ”シャネルのデザイン核となる理念を再パッケージ化し、それを転用している。

シャネルは世界で最も認知されているファッションブランドのひとつであるだけでなく、グローバルな帝国でもある。ナイキやコカ・コーラのように、ブランド名やロゴが大衆的なスケールで識別できるのは、高級感や洗練された雰囲気、そして指をくわえて見ていられないような“フランスらしさ”を象徴するブランドであることに由来している。

メゾンのレガシーと、女性ファッションにおける極めて重要な役割は、ガブリエル“ココ”シャネルと彼女がブランドのために創り出した重要なビジュアル的柱から始まる。リトルブラックドレス、キルティングバッグ、ツイードスーツ、ツートンカラーの靴、カメリア、パール、そしてシャネル No.5 パルファムだ。これらのシャネルのトレードマークはすべて、私たちの祖母や母、さらには若い世代の心にも刻まれた、一種のファッショナブルなソースコードとして機能している(そして今も)。

ドレス&ハンドバッグ&コード ココ ウォッチ&イヤリング/シャネル、ストッキング/スタイリスト私物

10代のころに欲しかったものとして鮮明に覚えているものがふたつある。クラシックなシャネル 2.55 フラップバッグと、シャネルスーパーコピー時計J12の時計だ。このアイテムは分子レベルで憧れた。非常に高価なふたつのものを所有することで、私は華やかでクールになり、シャネルのアンバサダーであるキーラ・ナイトレイ(Keira Knightly)に1歩近づけるような気がしたのだ。しかし15歳のときに、祖母が持っていたハンドバッグや口紅、香水も売っているブランドの時計を母にねだって、毎朝学校の送迎前に、シャネルブランドのアイテムを日常的につけていたのはどうしてだったのだろう?

10代のとき、シャネルは私の世界の隅々にまで浸透し、存在していた。欠けたルージュノワールのマニキュア、ケイト・モス(Kate Moss)がココ・マドモアゼルの広告でポーズをとっている写真、そして『ジ・オーシー』のエピソードでミーシャ・バートン(Mischa Barton)がシャネルの大きいバッグを身につけているのを見て育ったのだ。このようにブランドが(母や祖母と同様)私の人生の至る所に遍在しているのは、シャネルのクリエイティブディレクターであるカール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)による影響が大きい。1920年代、女性の服装を変えたココ・シャネルが現代の議会で法案を通過させるような革命的な政治行為をするように、ラガーフェルドもまた先駆者だった。

ラガーフェルドはココの信条を現代風にアレンジして、1980年代から1990年代の好みに合うようにしたファッションの先導者だ(シャネルのプレタポルテとオートクチュールコレクションで彼のクリエイティビティが最も高まっていた時期といっても過言ではない)。彼は急速に存在感を失いつつあった由緒あるファッションハウスを刷新して、超モダンでスーパーモデルに満ちた夢の世界へと変えた。彼が参考にした歴史的時代や文化的現象に関係なく、どんな時代、どんな文化の現象があってもすべてがシンクロしているのは、前述したデザインコードへのこだわりがあったからだ。ラガーフェルドはココのモチーフを自分の想像力と融合させ、シャネルの作品全体にそれを取り入れた。

1987年、ブランドの最も目立つふたつのシンボルが、プルミエールと呼ばれる時計に生まれ変わった。デザインを考案・実行したのは、1965年から2007年までシャネルのフレグランスや美容製品、時計、そしてジュエリーのアーティスティック・ディレクターを務めたジャック・エリュ(Jacques Hélleu)である。業界外の人にはあまり知られていない名前だが、エリュはラガーフェルドと二人三脚で、今日私たちが認識しているブランドイメージの最もインパクトのある側面をいくつか創り出した人物だ。アイコニックなフレグランス、No.5のブランドを再構築した彼は、カトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve)、キャロル・ブーケ(Carole Bouquet)、ヴァネッサ・パラディ(Vanessa Paradis)、ニコール・キッドマン(Nicole Kidman)といった女優やモデルを起用して、ヘルムート・ニュートン(Helmut Newton)、リドリー・スコット(Ridley Scott)、リュック・ベッソン(Luc Besson)、バズ・ラーマン(Baz Luhrmann)などが撮影した広告キャンペーンやコマーシャルに出演させた。

Ines in Chanel
1987年、プルミエールをつけたラガーフェルドのミューズ、イネス・ド・ラ・フレサンジュ(Inès de la Fressange)。Image: courtesy of Chanel

シャネルが1921年に生み出した、そのモダニズムなデザインのNo.5のボトルはいまもほとんど変わっていない。これは1959年にMoMA(The Museum of Modern Art)の常設展示に置かれ、1985年にはアンディ・ウォーホル(Andy Warhol)の手によってシルクスクリーンシリーズも描かれた。ダイヤモンドのようにカットされたストッパーは、パリのヴァンドーム広場の幾何学模様からインスピレーションを受けており、プルミエールウォッチのケースデザインの元ともなった。プルミエールのブレスレットは、アイコンのひとつであるキルティングバッグのレザーとチェーンのストラップが交錯する様子を模してデザインしている。シャネルはすべて(そして今もまだ)ココの核となる理念を再パッケージ化し、それを転用(モチーフを現代的なコンテクストに落とし込んで再構成して、そのなかから選りすぐった方法だ)したものである。

当時、ランウェイで披露していたジュエリーやアクセサリーと同様、この時計もラガーフェルドが生み出した80年式(および90年代初期)シャネルのマキシマリズムの美学の一部だった。過度で派手なファッションの10年間だった。ラガーフェルドはゴールドのチェーンを腰に巻いたり、ネックレスとして使ったり、パールのロングネックレスを混ぜたり、はたまたベルトや“ダブルC”ゴールドのフープイヤリングやカフスに至るまで、ゴールドのコスチュームジュエリーを多彩にコレクションに取り入れた。これらのアクセサリーはすべて、ウエストを絞ったブラックタイトドレス、巨大でインパクトのあるショルダーを持つキルティングレザージャケット、キャンディーカラーのツイードのミニスカートスーツ、ブルーデニムのジーンズを装飾して、劇的に表現するために使用していた。90年代、シャネルのショーでジーンズがランウェイに登場したのはとても大きな出来事だった!

Lind Evangelista in Chanel jewelry
1995年頃のハーパーズバザーに掲載されたリンダ・エヴァンジェリスタ(Linda Evangelista)。Image: courtesy of Chanel

プルミエールは、1987年にカール・ラガーフェルドが発表したシャネルをエリュが解釈した、今も昔もクラシックなシャネルだ。宝石のないモダンなレディスウォッチは、既存の“時計ブランド”製品の派生品でもメンズウォッチのスケールダウンアイテムでもなく、独自のアクセサリーとして考案されている。ブランドのなかからデザインのヒントを得て、スタイルを第一の原動力としている。確かに、この時計はクォーツかもしれないが、しかしここまで私の記事を読んでくれた人はそこは論点でないことを理解してくれているはずだ。

2022年にプルミエールは、シャネル ウォッチメイキング クリエイション スタジオの現ディレクターであるアルノー・シャスタン(Arnaud Chastaingt)氏によって外観のマイナーチェンジが施され、ランウェイが支配していた時代のブラックとゴールドのフォルムを持つ完璧な復刻版として登場した。ゴールドの八角形ケースに納められたブラックラッカーの文字盤には、数字やインデックス、秒針や日付表示はなく、12時位置に小さな白いシャネルのロゴと6時位置にスイスのロゴがあるだけで、シャネルNo.5のストッパーのようにシンプルでクリーンなラインである。

Chanel premiere
シャツ&パンツ&ネックレス&プルミエール/シャネル

Chanel Premiere and robot
プルミエール ロボット(左)とプルミエール メタル チェーン(右)。

1990年初頭までに、ラガーフェルドはシャネルをファッションの頂点に押し上げ、その結果シャネルは世界で最も魅力的なブランドのひとつとなった。シャネルの91年のFWコレクションで、パール、チェーン、ベルト、ロゴといったクラシカルなシャネルのイディオムが特大化し、ブランドに新たな時代が到来した。ラガーフェルドはヒップホップやダッパー・ダンのような黒人デザイナーからヒントを得て、それが主流のラグジュアリーに辿り着いたり認められるずっと前からブラックカルチャーの要素を取り入れていた。

それならば、メゾンが極めて大胆な変化を遂げてココのデザインコードを完璧に再現した時代に、エリュがJ12のデザインしたのは理にかなっている。当時としてはより大胆で男性的なデザインコードを持つ機械式時計で、オールブラックのセラミック製、後にオールホワイトセラミックも登場した。

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